たくさんのコメントを頂きました。熱く御礼申し上げます。個々にコメント返ししていくのが理想的なブログかもしれませんが、ご容赦下さい。
NHKのサイトにも書いた(総括として)が、勝つチャンスが一番あったのは間違いなく今回であったと思う。それは、米国が「どんなチームを作れば良いか模索中であった」ことに尽きる。決勝で例えば60-0みたいな試合をするチームを作れないこともないだろうが、IFAFの言うアマチュア・フットボールの普及の意図に、USA Footballも賛同しての参加であれば、その根源を揺らがすわけには行かない。いわゆるオトナの試合をする必要性が米国にはあった筈。そして、フタを開けてみて、手が届くところにいるチームと分かった以上、勝たねばならなかったのはJAPANだろう。むろん、米国は負けるワケにはいかないのだが。
それでも、勝負は何かの拍子に決してしまうことはあるのだから、そのチャンスをJAPANは、その都度、120%生かさねばならなかっただろう。それが監督の言う「ボールへの執着、勝利への執着」であり、試合前に選手全員で叫ぶ「集中力」なのだろう。評論家染みてしまうのはツライが、「あのプレイが」というシーンは多くあった。それらが、ことごとくJAPANの側に引きずり込めたら、ということに帰結してしまう。
そして、どうして引きずり込めなかったのか、という問いには、コメントを頂いているように、「それが米国のフットボーラーのアサイメントを越えた誇り」ではないかと思う。
一方で、この大会の意味するもの、米国が参加した意義、そのチームと戦ったJAPAN、などなどは、まだまだ国内では人気の低いスポーツが「この大会を起爆剤に」と思った取組みとして、大いにあったのだと思う。
コーチ・マコヴィックが試合後、つまり表彰式の最中に阿部監督に寄って来られた。監督の側にいた私が仲介する(コーチとは前夜祭であいさつし、「阿部監督に会いたい」とのメッセージも受け取っていたが果たせていないままだった)栄誉を得た。
コーチは「米国がやりたいことを、やらせてもらえなかった日本チームは、良く準備されていたし、良くコーチされていた素晴らしいチームだった。私は、阿部監督から、学ぶべき事柄があると感じた。この大会が、日本や米国のみならず、世界のフットボールの普及に役立つことを祈る」と仰った。その合間に、阿部監督からは「私も、早く会いたかった。わざわざ日本まで来て頂き、素晴らしい試合が出来たことに感謝する」と返答があった。
次の大会に米国が参加するとなれば、私は個人的には「メンバーは今回と同様のスタイルで、ポリシーを貫く」のではと思う。その代わりに、二週間と言われた事前準備のキャンプを、より長く、あるいは数回設けることで、チームとしての完成度を高める気がする。もっとも、広い国土を持つ米国で、いかに卒業生と言えども、それが容易な運営ではないことは、想像に難くない。
むしろJAPANが、それまでの間に、いかに強化していけるかが課題だろう。突然、カラダが大きくはならないが、03年からでも輿はJAPANの体格向上は認識している。それを敏捷性を保ちながら、スピードアップも果たしていくことは可能だろう。
そして何より、武者修行としての国際試合を、ぜひ毎年経験することで「カラダで感じる世界」が、JAPANの心身からの強化に繋がると信じている。
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